おもちゃばこ

見て、聞いて、感じて、そして思った事

ぐちゃぐちゃの感情

幹部代だった時の1年生が、今日引退した。
見に行くべきだったんだろうけど、見に行かなかった。見に行きたかったけど、昨日も見に行ったから、いいかなって思って。

twitterやfbには、今日の引退ステージを見に行った同期や後輩、先輩のいい言葉や良い写真がたくさん転がっている。
雨の中、良い笑顔で踊りきったことがわかる。あどけなかった新入生だった子たちが、しっかり幹部代としてやりきって踊りきってきたんだなあって。二年前の記憶がよみがえったり、なんかよくわからないものがこみ上げたりもして。

でも、ふと思う。
彼女たちにとって、私ってなんだったのかなあって。

演舞を見に行けば見に行ったで、引退してからも構ってもらったし。よくしてもらってたと思うけど。
でも、じゃあ何人が自分から連絡してきてくれたかなあ、とか。何かに誘ってくれたことがあったかなあとか。よく考えたら、都合よく使われてただけの存在だったのかなあとか。

たぶん、そういう存在だったんだろうなあ。
サークルに依存してる先輩。
ちょっとうざいけど都合よく使える先輩。

思いはきっと届いていなかったんだろうな。
思ってるふりして思ってなかったこと、きっとばれていたんだろう。自己正当化して、愛を売ってるふりが、ばれてたんだ。
だから、そういう扱い、されるんだろうな。

とある後輩の言葉を見て、しっくりきた。
「下駄は言葉が薄い」全くその通りだと思う。
綺麗すぎる言葉を並べて愛を押し売りする、自分をいい先輩として演出するのは、もうやめよう。ただ痛いだけの人だから。

兎にも角にも、もうおわりだ。
彼らの引退で、サークルとの縁は切れたから。
前に進もう。本当の仲間とだけ仲間になれば、それでいいんだ。

「差」のなかで生きること


自分が思っているより、
日本は学歴社会であるようだ。
「学歴なんて関係ないよ」なんて言えるのは、自分が高学歴と言われるところに腰を据えているからなんだと今更気づいた。
大学は出るだけじゃダメなんだな。
活躍したければ、上に行く必要があったんだ。


入社前研修で「差」をまざまざと体感させられたわたしです。
少数派の高学歴、高待遇、年上のわたしと、大勢の専門卒、雇用条件がそんなによくない若いみんな。
むずかしい。
いろんな違いを思い知りながら、自分がどう思われているのかを承知してうまく生きていかなきゃならないんだな。
むずかしすぎるよおおお…!


遠い世界のはなし

邦人拘束事件について、父の勤務先にマスコミ各社から問い合わせがきているらしい。

「映像はホンモノですか?」

プロの目というものはそういう時にも必要とされるのだなあ、と思う反面、真実の分かりそうもないことに日本を初めとする世界各国の大人たちが本物だとかニセモノだとか真実だとかそうでないとか大真面目に議論しているのかと思うと、少し馬鹿らしくなってしまうところもある。
誰かが現地に行って確固たる証拠、真実を確かめるまでは、何も分からないのにな。危険地域がゆえ、それすら難しいのに。
全ての事象有意義か否かの物差しで測ることを必ずしも良しとは思わないけれど、危険地域での事件について屋根のある温かい暮らしの元で嘘か本当かと議論し続けること、それを報じることに意味はあるのだろうかと考えてしまう。


世界史も世界地理も世界宗教も、難しいことはよくわかんないけど、それでも色々思うことはある。

危険地域だとわかっておきながら現地に赴き拘束されていることに自業自得だという声もあって、正直その通りだと思うけど、安田菜津紀さんのいうように、そこが危険地域だということを伝えてくれている人がいるから、遠い遠い世界の事件をこうして知って祈ることができているのも事実なんだ。誰かのぎりぎりの判断が、世界を豊かにしている。
危険地域に足を踏み入れたやつを、挑戦するやつをなじるのは、結局臆病なやつだけなのかもしれない。
でもやっぱり、そんなとこに行くやつは馬鹿だって思っちゃうのは、わたしに真のジャーナリズム精神が備わっていないからか。

報道について、遠い国について、
いろいろ考えてみた。
わたし、世界を全く知らないのだな。

年明けて、思うこと

年が明けた。毎年、たいした予定も入れないくせに、ただ西暦が変わるだけなのに、ら少しワクワク、そわそわしてしまうのはどうしてだろう。
案の定今年も、昼間はバイトして、夜は家で家族と大人しく過ごしてしまった。外に出て、誰かとわいわい年越しの瞬間を迎えたいなと毎年思うけれど…相手もいないし、なんやかんやで誘いづらくて、こんな感じで毎年過ごしてる。
一応午前零時までやりすごしてたけど、家でご飯食べてうどん食べて、ただ紅白を見続ける時間も、なかなかきついもんだと今年はじめて思った。暇だった。


とりあえずは、無事に年が変わった。
誰かに去年の感謝、今年の挨拶をするのが一般的だと思うけれど、そんなのは嫌でもするからいいとして、自分に向き合ってみようかなあと。
過ぎ去りし2014年。バイトに始まってバイトに終わった1年。就活に始まり、卒論とレポートに終わった1年。他者との関わりばかりに目を向けていたのが、自分だけに目を向けなきゃいけない1年になって、団体の中にいるとき以上に自分の責任が重くて、うまく自分を乗りこなせなかったなあというのが率直な感想。
もっと要領よく力を抜くことができたなら、就活だってもっと頑張れたんじゃないか。卒論だってレポートだって、簿記だってもうちょっとなんとかなったんじゃないか、と思う。そしたらバイトだってもっと頑張れて、生っ粋にだってもっと行けたはず。
自分を甘やかして持て余して、うまくいかないことを他人と環境のせいにばかりして、過ごしてきてしまったと思う。人を不快にさせるよう言動ばかりをしてきたと思う。
反省すべき点は、きっとたくさんある。
自分の好きな、自分ではなかった。

でも結果として、なんとかなった。
卒論もレポートも出せた。就活も終えられた。ぜんぶが無理かと思ったけれど、ギリギリで、とりあえずなんとかなった。なんとかならないと思ってたけど、なんとかすることができた。その点は、私にしてはよくがんばったと思う。
私にしては、1年、不器用ながらによくがんばったよ。きっと。だから、私だけは私を許すよ。お疲れ様って言ってあげる。


来年は、他人に優しくなりたい。自分に厳しくなりたい。要領がよくなりたい。自分で自分を好きでいたい。
急に眠くなってたけど、これが今の気持ちです。がんばる。



友情の期限

人と仲良くできるのは、その人と時間の共有が出来る間だけだと思ってた。だから、すべての友情には区切りがあると信じてた。
学校の友達とは、学校にいる間だけ。バイトの友達とは、バイトをしている間だけ。サークルの友達とは、サークルにいる間だけ。そんな風に、今まで関わってきた。
だから、不思議だった。何で大学を卒業してまで、大学時代の友達と遊ぶのか。バイト先の人と、バイト中以外にも連絡を取り会える環境にいなければならないのか。
「そこ」にいる間だけ、円満な人間関係が築けていればそれでいいんじゃないの?って、ずっとずっと思ってた。

でも、サークルを引退して、学生生活の終わりが見えて、漸く気づいたのです。
「そこ」にいた時代を経てこそ、築ける友情があることに。先輩、後輩、同期の枠を越えて、同じOBOGになって初めて同じ立場になれることに。
コミュニティで築いた縁を去りぎわに一つ一つ切っていったなら、最後に何も残らなくなってしまうことに。漸くこの歳になって気づきました、自分の友達の少なさ、会える人の少なさ、歪んだ友情論の悲しさに。

一つ一つの友情をぶつ切りにしてきたのは、きっと小学生の頃が初めだったと思います。
いじめられていた時代、ここを卒業すれば皆と離れることができる!とだけ信じて、受験をし、思い通りに全ての縁を切ったこと。
気づけば、卒業と同時に縁は切るものだと思うようになっていました。中学の友達、高校の友達、予備校、やめた部活、引退したサークル、そのほとんどで出会った人と、今では連絡をとっていません。どんなに濃密な時間を共有した人とも。
どうせ、同じ枠組みを外れてしまえば疎遠になるものだとは思うけれど、自ら進んで全ての縁を切る必要はあったのかと最近になって思います。
もしあのときああしていたならば、あの人と連絡を取り合っていたならば、今もこんなに一人じゃなかったんじゃないかとか、情けないことを思ってしまったりもします。
でも、過去のコミュニティにいつまでも縋り付いているような人にはなりたくないっていう思いもあったりします。

どういう関わり方がベストなのかは分からないけど、たまに誰かしらが会ってくれるような、ぬるっとした縁は続けておくべきなのかもしれないね。
今、連絡をとってくれている友達は、大事につなぎとめておきたいなと、思います。